3rd Album

INTERVIEW

  • ■6年ぶりのアルバムになります。まず、これだけアルバムが空いたのは、曲ができなかったっていうのが大きいんですか。
  • 菊池信也(Vo&G)「そうっすねえ……まさに、曲作りが下手っていうことに尽きる気はするんですけどね」
  • ■このバンドの場合は、どうして曲作りが難航しがちなんですか。
  • 菊池「出発点はシンプルに『アルバム作りたいね』っていう話から始まるんですけど、その最初の1曲をちゃんと完成させないと、他の曲達も先に進めないっていう病にかかってるんですよ。それに、これは結果的としてですけど、最初にポッと出てきた曲や言葉が意外と大きな意味を持ってることが多いんですよね。その意味とか想いを込めた状態で作っていくと、それが洋平が持ってきた曲であるにせよ、英司が持ってきた曲であるにせよ、ひとつのイメージを3人で共有して曲にするのが凄く難しくて。それでなかなか進まなくなるパターンが多いんですよ。その1曲さえできちゃえば、後はパーンといけることもあるんですけど――それが2年かかる場合もあるし、4年の場合もあるし。今回の場合は、6年かかっちゃったんだなあと。バンドマンはみんなそうだと思いますけど、その時々の思い出とか思い入れに嘘なく向き合って曲にしたいと思い続けてきたので」
  • ■逆に訊くと、そこから今回のアルバムが完成するまでの突破口っていうのは、何か具体的にあったんですか。
  • 鈴野洋平(B&Cho)「今キクが言ったように『嘘なく向き合う』っていう意味で、変わった部分があったんですよ。曲を3人で作るにあたって『妥協する』っていう言葉だと思っていた部分が、妥協するっていう言葉じゃなくなったというか。たとえば1曲に対して3人個々の100点を押し付け合うと、33点ずつの曲になっちゃうんですよ。じゃあ果たしてそれが3人の誰かにとって最高の曲になるのかって言ったら、結局は『間をとったね』っていう曲になる。だけど今回は、誰かが『俺にとって100点』っていう想いで持ってきたものであれば、それは最高なことなんじゃないかな?っていうふうに解釈を変えることができたんです」
  • ■尊重するという言葉になったというか。
  • 鈴野「ああ、そうです。認める、尊重する。それは妥協じゃないなって思ったんです。……曲を作りたいと思ったところから時間がかかればかかるほど純度は失われていくし、自分自身の気持ちも変わっていく。その中でお互いの意見を言いまくってると、自分がやりたくて作った曲が『こう言えばみんな納得するかな』っていう理屈になっていっちゃうと気づいたんですよ。だから、誰かにとって100点の曲ならば、それをよくする方法をそれぞれが考えようっていう気持ちになれたのが大きいですね」
  • ■3人にとっての100点、メンバーにとっての100点というよりは、曲にとっての100点を目指したっていう。
  • 寺本英司(Dr)「ああ、まさにそうですね。それが、風通しのよさが生まれていって。そこから曲作りのスピードが上がっていったと思います」
  • ■こういう機会なので、今日は結成の頃の話も伺いたいと思うんですが。元々は、どういうバンドをやりたいと思って始まったんですか。
  • 菊池「俺と洋平が出会ったのが20歳の頃で、それが2000年か2001年くらいかな。同じ横浜でお互いに違うバンドをやってたんですけど、対バンしたのをきっかけに洋平と、前のドラムの玄と出会って。そしたら、洋平とは音楽の知ってるところ・知らないところを話せるのが凄く楽しくて、たとえば当時、HOOBASTANKが流行ってたんですよ。それを聴いて洋平と盛り上がったり、当時のバイト先でFall Out Boyを教えてもらって、それも洋平と『こんなことやりたいね!』」って言い合えたり。一方では、Sugar Rayみたいに緩いのも『いいね!』って盛り上がったりしてて。そこから一緒にやりたいねってなったのが始まりで」
  • ■HOOBASTANKみたいなモダンヘヴィネスも、Fall Out Boyみたいにいち早くポップパンクとブラックミュージックを合流させたバンドも、同時に出て来てた時代ですよね。凄く自由だった。
  • 菊池「そうそう。そうやって『音楽って自由なものだよな』っていうのを改めて実感して、そこで一緒に盛り上がれるのが洋平だった。HOOBASTANKもFall Out Boyもやりたいなんて、言ってみれば全然違うことじゃないですか。だけどメロコアが好きだからメロコアだけをやらなくちゃいけないなんてことはないよなって。『これいいじゃん!』って言ってやれるのが音楽だよなってシンプルに思えたし、だからこそ一緒にバンドをやりたいねって洋平と話してたんです」
  • ■そこから英司さんは2009年に途中加入されたわけですけど、言ってみれば途中までは客観的にOVER ARM THROWを見られてたわけですよね。その時は、この音楽をどういうものだと思って聴いてたんですか。
  • 寺本「元々、2004年の『GRADATION』の時からOVER ARM THROWを知ってはいたんですけど、それを初めて聴いた時に『果たしてこれはメロコアなのか?』って思ったんですよ(笑)。変な意味じゃなくて、何がやりたいんだろう?って。ヘヴィな曲もあれば、ポップな曲もある。それがまさに、今キクが話してたことに繋がるんですけど――前のドラムが脱退して自分が入りたいと思ったのも、このバンドなら、自分の枠を決め込まないで自由にやれるんじゃないかなっていう期待があったのが大きかったんです。だから今でも、自分にとってのOVER ARM THROWは『いろんなことが型にはまらないバンド』っていう感じなんですよね」
  • ■OVER ARM THROWが結成されたのが2003年ですよね。その頃のHi-STANDARD以降で見ると、メロコアに加えて何の要素を消化してオリジナリティを確立していくかを明確に考えているバンド達が多かったと思うんです。そういう意味で言うと、どれくらい自覚的に、今話していただいたような音楽の消化の仕方になっていったんだと思いますか。
  • 鈴野「そう考えると、当時からキクは『人と同じメロディにならないように』っていうことを突き詰めようとしてたと思いますね。それこそ二番煎じって言われないように、その上でハイスタの世代のバンド達みたいになるために、どういうオリジナリティが必要なんだ?っていうことを考えて、その上でメロディと歌を最初から突き詰めてた気がします」
  • 菊池「確かに『同じメロディは嫌だ』っていうのはやたら意識してたね」
  • ■キクさんのメロディって、どういう音楽に紐づいて出てきてるんですか。
  • 菊池「うーん………………なんなんですかね?(笑)」
  • ■たとえば、『Oath and~』の時にもCHICAGOのカヴァーをやられてましたけど、ああいうオールディーズの要素に加えて、たとえばThe TemptationsやThe Supremesなるモータウンやソウルの匂いをメロディから感じることが多いんです。2000年以降のメロディックにはオールディーズのメロディを消化する方々も多かったですけど、キクさんの歌は、さらに消化しているメロディと歌が幅広いと思うんです。そのメロディの幅広さが、こうして6年リリースが空いたとしても大文字のメロディックパンクシーンを替えが効かない存在として守り続けてこられた、一番の要因な気がして。
  • 菊池「ああー、まさに言われた通りです(笑)。Supremesとかは、親父がレコードをたくさん持ってたんですよ。それにCarpentersも好きで、The Eaglesも好きで……当時、親父のレコードって触っちゃいけないものだったんですよ。宝物っていうか、直接盤を触ればブン殴られてた時代で(笑)。だから、ガキの俺からするとむしろ興味が湧いてたわけです。それで小学生の頃、親が家にいなかった間に『よっしゃー!』と思って聴いてみたんです。そしたら、なんて美しいメロディなんだ!って感動しちゃったんですよ。日本のテレビで流れてる歌とは全然違う。その感動が、歌や美しいメロディを好きになったきっかけだったんですよ。ストーンズのレコードもありましたし、スージー・クアトロのレコードもあった。そういう経験が自分を作っていったんだと思うし、メロディに対しての意識は未だにそういうところから生まれてるのかも。……今言われてみて、そうそう!って自分で思い出しちゃったんだけど(笑)」
  • ■それがご自身の音楽の原風景っていうことですよね。それこそThe Supremesみたいな、モータウンやブラックミュージックの歌も消化したメロディメイクになっていくっていう。
  • 菊池「そうっすね、それこそ『モータウン・ベスト』とかはずーっと聴いてました(笑)。“I’ll be there”(Jackson 5)なんて、謎に何百週もリピートしてましたし……だからね、メロディに限らず歌い方に関しても、自分の原風景の音楽の美しさを追究したいっていう気持ちが強くて」
  • ■そうですよね。ビブラートで歌い上げるスタイルはかなり新鮮だった。
  • 菊池「そう、先輩にも『お前、メロコアなのにビブラートなんかしてんじゃねえよ』って言われてた(笑)。とにかく自分の思う美しい歌い方、メロディに固執してきたと思いますね。でも、さっき『曲に対しての100点』っていう話もありましたけど、今回は曲ごとに歌い分けようっていう気持ちが強かったんですよ。どうしたって自分の歌い方っていうのはナチュラルに出ちゃうものなんで、それよりも、もっとストレートにメロディックパンク感のある歌い方をしてみたいなっていう。曲を作ってる時から、これは英司にも話したんですけど。とにかく勢いを出したいと思ったんです」
  • ■まさに今作の特徴として、サウンドも歌も過去最も生々しいし、化粧と飾りが音にも曲にも少ないんですよね。そのスカッとした抜け具合と風通しのよさが、この作品のいいところだと思ったんですよ。
  • 鈴野「今回のアルバムの曲が、キクにそういう歌い方をさせたのかもしれないですよね。俺が話してたのが、『綺麗なメロディよりも勢いを出そう』っていうことだったんです。それをどこまでキクが考えてたのかはわからないんですけど、だけど曲自体が、そういうベクトルを向いた中で出て来てたので。それが、歌の上でも大きかった気はします」
  • ■勢いを大事にしようと思ったのは、何故だったんですか。
  • 鈴野「前のアルバムの『Songs(-what I sing when a war resounds this-)』の時は、どちらかというと真逆だったんです。1曲1曲をとことんドラマティックに、やりたい要素をどれだけ取り入れられるかっていうことをやった。で、ライヴでその曲達をやると、ドラマティックなものとしての威力はもちろんあるんですよ。だけどあのアルバムだけが自分達を構成するものではないっていう意識もあったから、今回はもっとスパン!と行ける勢いが欲しいと思ったんですよね。……やっぱり考え方として、ライヴがメインになってくるんですよ。それに、曲を全然作れてなかった時期があったり、2015年にライヴ活動を止めた時期があったりしたからこそ、置きにいった曲を一切作らなかった気はしていて。そういう意味では、ファーストアルバムの時と変わらない作品のようにも思えるし、自分達自身にも勢いが欲しかったのかもしれないですし」
  • ■今のお話にも出てきましたけど、もうひとつ振り返りたいのは、2015年の6月から11月までライヴ活動を休止された期間があったことで。あの時のバンド内は、どういう状況だったんですか。
  • 鈴野「まあ、綺麗な言葉で言えば、自分達を見つめ直した時間だったっていうことなんですけど。……汚く言うと、仲があんまりよくない時期だった。だけど、あそこで時間が空けられたからいいスタートを切れたとも言えると思うんですよ」
  • ■仲が悪くなったのは、どういう原因があったんだと思います?
  • 菊池「これは俺個人の話ですけど、自分が怠っていたり足りないと思っていたりする部分も、メンバーのせいにし始めてた時期だったんです。だけど休止してる間に、いろんな仲間が『お前が悪いだけじゃなくて、お互いに悪い部分もある。お互いにいい部分もある』っていう話をしてくれたんです。そしたら、やっぱりライヴがやりたくなったし、OVER ARM THROWをやりたいと思ったんですよ。『本当にお前がやりたいと思うことをシンプルにぶつけてみたら、答えが出るんじゃない?』っていう話をみんながしてくれて――当時は俺らの味方なんて誰もいねえよって思うくらい、どんどんマイナス思考になってたのに、活動を止めようとなった時にはいろんな人から連絡をもらったし、バンドなんか辞めろって言ってた俺の家族さえも、『大丈夫なの?』って言ってきて。そこでようやく仲間を認識できた気がするんです。やっぱり時代的にも、フェスが増えて、横の繋がりが増えて、みんなが仲よくする時代じゃないですか。俺はきっと、そういうのが羨ましいと思ってたんですよ。だけどその反面、それって本当の仲間なの?って思ってるところもあった。だけど休止期間中に、『自分だけでやってきたわけじゃないんだな』ってハッキリと思えたことで、またやろうと思えたんです」
  • ■そうして仲間を認識できたことで、尊重し合う空気も生まれたんですか。
  • 鈴野「ああ、そうだと思いますね。結局、仲が悪くなった時期があったのも、全員が真面目過ぎたと思うんですね。よくしようと思ったこととか、正解だと思ったこと。それを押し付け合ってしまったが故に、仲が悪くなったわけで。そういう部分をそれぞれが見直せた時間だったと思います」
VOL.2へ続く
(Interviewer:矢島大地)